逍遥記

自由気ままに、好きなことをし、感じたままに綴る、それがこの逍遥記です

2016年09月25日

丹後100kmウルトラマラソン
昨年末にウルトラマラソンに挑戦しようと思ってから少しずつ準備を進めようやく本番を迎えました。
当初の予定では6月に行われる予定だった阿蘇のウルトラマラソンに挑戦するはずだったのですがまさかの申し込み開始日当日での定員数到達による締め切り、さらにはその後熊本が震災に見舞われるという予期せぬ出来事でどちらにせよ走ることが出来なかったのです。
結果的に予定が3ヶ月ずれたことでその分練習する時間が増えたのは良かったと思います。

今回ウルトラマラソン初参加という事で一番心配していたのは天候です。
9月中旬といえばまだまだ残暑が厳しく過去の大会のデータを見ていると最高気温が31℃の時もあり暑さ対策が重要だと考えていました。
しかし直前の天気予報では暑さではなく雨の予報、しかも台風が近づいているという大会の開催そのものも危ぶまれるという状況。

16日朝早くに車で佐世保を出発し京都の実家で一泊、翌17日に実家から京丹後に入り前日受付をして早めに宿に入り就寝。
心配していた台風は予定していたよりも到達が遅くなったので直接の影響はなかったものの、夜からは雨が降り出し、宿を出た朝3時過ぎもまだ雨が降っている状況。
スタート地点のアミティ丹後に到着したときにはそこそこの雨が降っており、とりあえずビニールのごみ袋即席のポンチョにしてかぶりスタートの合図を待つ事に。

 スタート前に宿にて

100kmの部は約2000人という人数なので前後にぎっしりの人でしたが皆さんさすがウルトラに挑戦されるという方達なのでスラッとした無駄のない筋肉質の体系で日焼けしているが多かったです。
スタート直前の挨拶では今大会のプロデューサーで24時間テレビのチャリティーマラソンでおなじみの坂本さんがお話しされ、今日は雨と思っておいた方が良いというアドバイスがありましたがありがたい事にスタート直前には雨が止み4時30分スタート。

スタート直後はまだ外は真っ暗で所々にある街灯とライトを持って走っている人の動く明かりを頼りにゆっくり進んで行く。
さすがに100kmの距離を走るのでマラソンのようなスタートダッジュはありませんが既にどこに先頭がいるのか全くわかりません。
とりあえず心拍数とフォームの感覚を頼りに三つある大きな山場の一つ七竜峠を目指す。
途中3.3km地点で初めてのエイドで水分補給をし、僅かに明るくなる日本海の景色を横目に足取り軽く6.9km地点の七竜峠に到着。
ここのエイドでこの日初めての栄養補給となるエネルギーゼリーを頂き、水分も補給し一気に峠を下って行く。

峠を下ってからは久美浜湾を一周するほぼフラットなコースでだいたい3〜4km間隔に置かれているエイドで水分と塩分、カロリーを補給しながら快調にスピードアップし10km地点では1時間1分だったスピードがその次からは10km1時間を切るペースに。
途中16.3km地点では前日のお昼ご飯を食べた道の駅くみはまSANKAIKANで名物の梨を頂いたり、25.6km地点のエイドではこの日宿泊した宿のすぐそばで一足早く宿を出た僕を家族が出迎えてくれました。

家族に元気をもらい先へ進むと制限時間の第一関門である29.6km地点に到着。
ここまでは予定通りキロ6分(10km/h)を上回るペースで身体の調子も良くあっという間に来たという感覚。
ただしここからが二つ目の山場、行きに通った七竜峠を再び越えなければなりません。
行きは軽かった足取りもさすがに帰りは足取りが重く心拍数が予定していた心拍数(140)を遥かに超える160を何度も上回る中、何とか歩かずに峠の頂上に到着。
ここで38.3km、フルマラソンならもう少しという距離ですがウルトラではまだ半分以上の距離が待っています。

徐々に足の疲労が蓄積され足取りが重くなりつつある中フルマラソンの距離42.195kmを4時間ちょっとで通過し43.5km地点のエイドに到着。
これまでのエイドでは水分やカロリーの補給、トイレを素早く済ませほとんど休む事はなかったのですがさすがにフルマラソンの距離を走った身体は相当疲労が溜まっておりそのままでは厳しいと思われたのでファイテン元気ステーションと呼ばれるファイテンのローションを使って地元の中学生がマッサージしてくれるブースでしばし回復を図る。
ちなみに中学生はサッカーをしている子達で3ヶ所あったステーションのうち2か所でお世話になりました。

少し休んだおかげで多少軽くなった足でこれまで練習でも走った事のないウルトラ(マラソン以上の距離)の世界へ。
身体の疲労が既にピークに近い状態で走り続ける訳ですが2.5km毎に置かれている距離の表示とエイドまであと1kmの表示を励みに一つ一つエイドを目指し走って行くと50km付近で再び家族の応援で少し元気をもらい、さらに進んで行くと見た事のある醤油屋さんを発見。以前リフォームの番組でテレビに出ていた醤油屋さんでした。

 50km付近の様子

そこから少し行ったところで第二関門である53.9km地点弥栄庁舎に到着。
ここは荷物を預けておけるエイドになっていたのでその荷物を受け取り、アミノ酸のゼリーや胃薬、整腸剤、を飲み、念の為に痛み止めも服用し、雨対策でかぶっていたもののここまで全く降らなかっず汗だくになった防水のキャップを脱ぎ気分を新たに再スタート。

ここからが今回のコースの最大の山場である標高400mある碇高原への上り。
既に身体がボロボロの中400mを上るという過酷なコースにさすがに今度ばかりは周りの選手に習い歩く事に。
ここの道がきついのは単に坂が急(急な所は傾斜が13度)というだけでなく完全な山道なのでそれまでよく出会った町の人の応援や道を誘導してくれるボランティア方がおらず前後の選手も少なくなるのでさらにきつく感じるのです。
おそらく多くのランナーがここで泣かされたはずです。

タイムは大分遅くなったものの歩くと走るでは使う筋肉が微妙に違うみたいで頂上の70kmを過ぎるとそれまでのロスを補うかのように一気に加速し第三関門71.8km地点の碇高原管理事務所に到着。
ここで二度目のマッサージを受けながら預けていた荷物から筋肉痛用の塗り薬を塗り、さらに痛み止めと整腸剤を服用し温かいスープとコーヒーでホッと一息入れてから一気に10kmほどの下りを駆け下りる。
前半の下りではなるべく足に負担がかからないようにスピードをセーブしながら走ったのですがもうここまでくれば最後は歩いてもゴールに間に合う時間だったので気にせずに飛ばしました。

最後の20kmは再び日本海を横目に地味なアップダウンの続くコースなのですが普通ならきついはずの20kmの距離も80km走ってくると距離の感覚が狂って来てあと少しに感じるから不思議です。

第四関門84.9kmでは3度目の家族の応援を背に名物の魚のつみれ汁を頂きあとはゴールを目指すだけだったのですがそうはウルトラは簡単には完走させてくれません。
ラスト15kmとなってそれまで走るには絶好の暑くもない曇りの天気が一転、雨が降り出し全身びしょびしょに。

 第4関門で家族の出迎えを受ける

濡れたジューズはマメを作り、途中で脱いだキャップのせいで雨が直接顔に当たりながらそれまで目安にしていた心拍数もここからは関係なくただひたすらゴールを目指しました。

ゴールに近づくにつれてエイドの間隔が短くなっていたので気持ち的にはすごく走りやすく、ゴールまで5kmを過ぎると1km毎のあと何kmの表示に一気にテンションが上がりそれまでの疲労が吹っ飛びゴール直前ではゼッケン番号と名前を呼ばれる中、ラストスパートでスピードをさらに上げてゴールテープを切りました。
本当は家族は子供と手を繋いでゴールして欲しかったみたいでしたが雨が結構降っておりとにかく早くゴールしたかったのでそのままゴールしました。

 ゴール直後完走メダルをかけてもらう

練習では50kmも走った事がなく月の平均の走行距離の200km前後という少ない練習量でしたが何とか無事ゴールする事が出来ました。
充実したエイドや沢山のボランティアの方々、さらに町の人たちの応援や家族の応援が100kmもの道のりを支えてくれました。
本当にありがとうございました。

 完走証とメダル

初めてウルトラマラソンを走りましたが最初はなぜあんな無謀な距離を走ろうとする人が沢山いるのかよくわかりませんでしたが走ってみるとわかるのは単にタイムや順位を競うマラソンにはないサポートする側、される側全ての人が一体となり、選手同士もみんなで完走を目指すという他のスポーツにはない魅力があるからなのだと思います。
速かった人もギリギリでゴールした人も途中でリタイヤした人もそれぞれに様々なストーリーがあり、全てを含めて楽しめるものがウルトラなのだと思いました。

天候:平均気温22.5℃、最高気温25.2℃、最低気温20.9℃、降水量11.5mm、平均風速3.5m/s

男子100kmの部:参加者1923人、出走数1773人、完走数1161、完走率65.5%

順位:149位/1773人中、タイム:10時間39分05秒

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