逍遥記

自由気ままに、好きなことをし、感じたままに綴る、それがこの逍遥記です。

2011年9月

2011年09月05日

糸島で火おこし
3日の土曜日は半日の仕事を終えてからいつもの佐世保の意拳メンバーと共に福岡の糸島にある懐庵へ。
定刻より遅れて到着したために既に会は始まっており途中から話を聞くことに。

自然計算をテーマに話が行われていたようなのですが日本語なのに何を話しているのかさっぱりわからない。
どうやらその分野では世界的にもかなり著名な方達らしいのですが専門用語が多すぎて一般人にはちんぷんかんぷん(苦笑)。
所々でユーモアを踏まえて話をされているようなのですが笑っているのはそれを専門にしている前列に座っている一部の人たちだけであとの人たちはなぜそこで笑えるのかすらわからない状態・・・。

まぁ専門用語を除けば何とかこういう事を言いたいのだなぁぐらいはわかるのですがとにかく難しかった。

その後は、野元さんによる火おこし&竹ぼらの実習。
今回のメインの目的は講演よりもこちらでした。
どんな先生の話よりもわかりやすく楽しいのが野元さんの話。

野元さんの要点をつかむセンスとユーモアのセンスは抜群で、難しい話で退屈していた人たちも一気に盛り上がり場の雰囲気が一変しました。

では肝心の火おこしはというと、これには様々な知恵が含まれていました。
中でも面白かったのが火おこしに使う棒に選ぶ木の種類。硬すぎても軟らかすぎてもダメなのはもちろん中が空洞になっている木、例えば山アジサイや細い竹などがよいのだそうです。
それから火が起こるには発火点以上の温度が必要なのですが一見良さそうな木炭は300何度で木は200何度で木の方が発火しやすいのだそうです。

さらに多くの人が勘違いしているのが火は摩擦熱で起こると思っている事です。実際に火おこしをするとわかるのですが火おこしで大切なのは摩擦熱もですが蓄積熱なのだそうです。
なので最初のうちはゆっくり木を回し、だんだん速くしていき木くずが溜まり煙が出始めた所で最後に高速回転にして一気に着火するのがコツなのです。

これで起こった火種を燃えやすい繊維状のものに包み最初口で息を吹きかけそのあとは手に持ってぐるぐる回し徐々にスピードを上げていくと火が点くのです。

これは実際にやってみるのが一番ですが本当の楽しみは火をおこす所ではなくその前の段階の材料選びやその加工なのです。まぁ今回は体験という事で今度は実際にその辺りからやってみたいと思います。

それから竹ぼらですがこれはいたってシンプルな構造で単に竹を切って吹き口を開けただけなのですが音を鳴らすのは難しい。
僕もしばらく練習してようやく何回かいい音が出たのですが唇と吹き口との距離や息の強さ加減が非常に難しく、竹ぼらの大きさや形、また吹く人によって固有の周波の音が出る面白さはやはり体験してみないとわかりませんね。

少し身体を動かしたあとは精神科医の名越先生と言語学者の先生との対談。
テレビではちょくちょく見る名越先生ですが全体の雰囲気を感じ取る能力はさすがでその場の全員に気を配っているのがよくわかりました。
難しい話も名越先生独特のユーモアあるわかりやすい喩で誰もが楽しむ事ができました。

最後にあった懇親会は懐庵のすぐ下にある一般の民家で行われたのですが凄かったのがここの料理。どの一品をとっても手抜きがなく、素材にこだわりが感じられる料理で並みのレストランでは到底及ばない料理なのです。
しかもそれを作っているのがプロではなくそこの家の方というから本当に驚きです。40〜50名ほどいたであろう人数分を作るだけでも大変なのに一品一品どれもに心がこもっているのです。
世の中にはプロでなくてもそれ以上と言う方がどの分野にもいるものですね。

今回は人間サファリパークという事だったようですが本当に多くの才能ある方々が集まっておられよい刺激を受けた一日でした。

2011年09月14日

武道から武術へ
「武道から武術へ」というのは今年刊行された甲野先生の本です。
久々に全て甲野先生が書いたというだけあり様々な気付きを与えてくれる本でした。

この本を読んでいて感じたのは、今の自分の武術的な身体能力は古(いにしえ)の達人のレベルからすれば百分の一にも達していない非常に未熟なレベルであるという事です。
これは自分自身のみならずプロと呼ばれるアスリートですら昔の達人からすれば超がつくほど未熟であると思います。

確かに今のアスリートの中にも凄いと言える人はいますが古の武術の達人のような他を圧倒しうるような動きが出来る人を見たことがありません。
何が決定的に違うかと言うと、今のアスリートの動きは武術的な視点からみれば身体の動かし方自体は一般人とほとんど変わらず、その動きを何度も繰り返す事により一般人よりはるかに慣れた人と言えるのですが、古の達人は動きの質自体が比べものにならないぐらいに高く”慣れ”で出来うる動きとは全く異なるのです。

例えば目の前にいるにもかかわらず全く見えない動きをしたり、触れたか触れないかのうちに投げ飛ばしたり、といったことは今のトップアスリートですら出来る人がおらず、もはやそれはアニメの世界だけだと思われています。
しかし僕の場合には幸運にも実際にこういった動きを体験した事があるのでこれらが現実として可能であることがわかるのです。

さらに武術の稽古を続けているとその事がさらに体感として感じられるのですが、それと共に自分の未熟さが嫌と言うほどわかるのです。
これがスポーツであれば少しでもうまくなればトップアスリートとの差が僅かでも埋まっていく感じがするのですが、こと武術に関しては知れば知るほど奥が深く計り知れない差を感じるようになるのです。

それでもその差を感じれるレベルにはなってきているだけでも少しは変わってきたのかなと思います。
とにかく今は今出来る身体的課題を一つ一つクリアして一歩でも古の達人に近づく事だと思っています。


2011年8月 Index 2011年10月

HOME