逍遥記

自由気ままに、好きなことをし、感じたままに綴る、それがこの逍遥記です。

2012年02月06日

寒かった〜
最近は寒い日が続いおり東北では雪で大変な事になっていますが昨日は少し寒さが和らぐという事で自転車で出掛けてみる事に。
天気予報では降水確率30%で曇りとなっており雨は降らないだろうと思われたのですが朝すぐはパラパラと雨が降っていました。
しばらくすれば止むだろうと思いチェーンにオイルを刺したり空気をいれたり準備していると雨が止み、いざ出発。

ここ数日の中ではまだ暖かいとはいえまだまだ気温は低く寒い中、しばらく漕げば温かくなるだろうと思い自転車を進めるが全然温かくならない。特に手足の先は冷たいまま。
普段なら汗をかく急な上り坂でも身体の中心は多少温かくなるものの末端は相変わらずの冷たさ。
途中の峠には数日前に降った雪の残りがまだ残っており水溜りには氷が張っている所も・・・。

とりあえず最初の経由地である嬉野に到着。
とにかく手足を温めなければと足湯に浸かり手足を温めるが思ったほどは温まらず(苦笑)。
それでもさすがに温泉だけあって麻痺していた手足が普通に動くようになり再出発。

しかしそれもつかの間の事ですぐに感覚がなくなってきてしばらく漕いでお昼休憩をとることに。
ここで食べただご汁定食がなんと美味しい事!
薬味の柚子ごしょうを入れるとさらに風味が増し身体が温まり、一気に元気に。

お腹が満たされた所でそこから佐賀県の鹿島へ。
鹿島に到着するとポツポツ雨が降り始め寒さもさらに厳しくなってきました。
とりあえず道の駅で雨宿りをしていたのですが一向に止む気配がないので仕方なく少し緩くなったのを見計らって出発。

この時はちょうど干潮で、本来であれば美しい有明海の干潟を見ながらのツーリングのはずだったのですがそんな余裕は全くなく雨に濡れてどんどん奪われる体温と失われる末端の感覚と必至で戦いながらとにかく目的地である諫早を目指す。

この辺り道にはカキ焼きのお店が多く美味しそうな香りが漂ってくるのですがそれには目もくれずただひたすら漕ぎ進めようやく諫早に到着。

ここで別の用事で車で来ていた妻と合流。
あまりの寒さに震えが止まらない状態でしたが自転車と共に車に乗り込みようやく一息。

まぁその後しばらくはいくら温めても身体の冷えが取れませんでしたが・・・(苦笑)。
自転車では坂道や雨、風、暑さも大敵ですが寒さも大敵であることを改めて思い知らされました。

2012年02月15日

視覚の死角
人間の感覚器の中でも視覚は非常に大きな役割を果たしています。目に見える世界を疑う人はほとんどいません。
人とコミュニケーションをとる時にもこの視覚は聴覚と共に重要で、それぞれ映像化と言語化によって他人と情報の共有を行う事が出来ます。

サッカーをする時にもこの視覚は非常に重要な情報源で、視野を広くとかもっと周りを見てという事をよく言われます。
確かに視野を広く持つことはより多くの情報を得る事ができプレーの選択肢を多く持つ事に役立ちます。

これまでこの事に関してはさほど気にしていなかったのですが、先日ふとこれに隠された大きな落とし穴に気付いたのです。
何が大きな落とし穴かと言うと見えているという実感が本当に見えているという事実なのか?という事です。
見えている実感があればあるほどにその見えている部分に囚われる事となり本来持っている能力が制限されてしまっているのです。

しかし本当に見えている時と言うのは見えている実感がない、つまり自分の感覚の中ではよくわからない状態の時なのだと気付いたのです。

気付いてしまえば自分の中では当たり前なのですが、見えてない方が見えているなど現代生活の中では信じられない事です。
これはいかに現代人が視覚に囚われているかという事だと思います。
おそらくこれを読んでもほとんどの人は言葉では多少理解できても感覚としては理解できないと思いますが・・・。

なぜこれに気付けたかというと、サッカーをしている時に自分では全然周りが見えている実感がないのにちゃんとフリーの味方にパスが出来ていた事によります。
普通であれば確認もせずに適当に出したパスがたまたま通っただけかと思うかも知れませんが、実際はそうではなく身体の持つ能力がより発揮された状態なのです。

事実、これまで自分でも信じられないようなプレーが出来たときというのは周りがよく見えていなかった時なのです。

ただこれが難しいのはただ単に見ていないのと見えていないという状態の違いがまだしっかりと自分の感覚で識別できていないという事です。
さらに見えていないという状態は確認が出来ない状態であり、自己確認をしたがる人間にとって恐ろしい状態でもあるのです。

この暗闇に足を踏み入れるような世界に入っていかなければならない事だけは自分の中でハッキリしています。
今後この暗闇に何が待っているのか怖い気持ちもあり楽しみもあり・・・、そんな中、今言えるのはただひたすら歩を進めるのみという事です。

2012年02月29日

動物の異常行動
昨年の大震災の前、多くのイルカやクジラが座礁した事は記憶に新しい所です。
飼っていた犬が急に吠える、牛や馬などの家畜が暴れだす、カラス集団が異常な鳴き声をだす等大きな地震の前に起こる動物たちの異常行動は地震の予知に役立つのではないかと言われています。
時として動物は人の想像をはるかに超える行動をする事があります。
おそらくは本来は人にもそういった能力は備わっているのだと思いますが・・・。

それはともかく、先日車で福岡に行ったときの事です。覚えているだけでも往復する間に動物の死体が4〜5体はありました。
この道はこれまでも何度も通った事があるのですが動物の死体などほとんど見かけた事がなかったにもかかわらずこの日はたった一日の間にありえない数の死体があったのです。
それらの死体はおそらくイタチやタヌキだと思うのですがなぜこの日に限ってこんなに死んでいたのでしょうか?
仮に餌不足が原因ならこの現象は餌が少なくなる時期だけのはずで、おそらくより餌の少ない地域から先に起こり広範囲で同じ日に起こることはないのではないでしょうか?
また別の可能性としては気候が影響している事も考えられますがこの日はここ数日では多少気温が低い日ではありましたがもっと寒い日は前にもあったのでこれが関係しているのかは不明です。

たまたまこの日だけがそうであればこれは単なる偶然と考えたかも知れませんがこういった事をこれまでも何度か経験した事があったのです。
たとえばお遍路で毎日100km以上の道を移動していた時も動物の死体を見る日はだいたい複数で見ないときは一体も見なかったのです。

これがどういう事を意味するのか、それとも単なる偶然なのか?いずれにせよ動物の行動は人智をはるかに超えているという事でしょう。
どなたかご存知の方がおられましたらご一報下さい。


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