逍遥記

自由気ままに、好きなことをし、感じたままに綴る、それがこの逍遥記です。

2012年05月10日

ビッグムーン
今年のGWは前半は佐世保で後半は京都に帰ってあちこち出掛けてきました。
今回京都に帰るのに初めて今話題のLCC、ピーチ航空を利用しました。
長崎空港から関空への一時間弱のフライト。

就航から度々問題のあったピーチ航空ですがこの日は何のトラブルもなくテイクオフ。
座席は若干狭いものの、さほど気になる事もなく無事関空に到着。過剰サービスの多い日本においては、無駄なサービスが省かれているのはかえって良い気がしました。
ただ荷物を預けるとプラス料金がかかるのはちょっと改善してほしい所。まぁそれ以外は安くてシンプルで概ね満足でした。

京都に帰った翌日は久々に体調を崩してしまい、頭痛とめまいでダウン。せっかく楽しみにしていた地元の仲間との飲み会に参加出来ず残念でした。

まぁこの日以外は何とか体調を持ち直したので良かったのですがずっとスッキリしない感じでした。
そんなGWも終わりいつもの仕事に復帰したのですが、いつになくめまいの薬がよく出るのです。

めまいというのは元々原因がよくわからないのですが疲れやストレスが溜まった時などに起こりやすいと言われています。
また季節の変わり目などの気候の変化のある時にも起こりやすく今回もそれでなのかと考えていましたがもしかすると・・・。
そう、思い当たる現象がもう一つありました。それは”月”です。
ちょうど先日は月が最も地球に接近し大きく見える時でした。

月が接近しているという事は月の引力が最も働くという事です。つまり潮の干満が最も大きくなる時であり,
人にもそれだけ引力の影響があるのではないでしょうか?
満月の日には産卵する生き物が多いですが、人もお産が多いようです。

昔から太陰暦が使用されてきた理由の一つは太陰暦が自然現象とより密接に関わっているからです。
種蒔きや収穫の時期などはこの太陰暦が目安となりますし、春分や秋分、土用、冬至、夏至など昔からある節目は其々自然現象の節目としての役割がありましたが現在の太陽暦では残念ながら全くその意味を成していません。
以前、太陰暦のカレンダーを作っている人が言っていたのですが現在の異常気象と言われる現象も太陰暦から見れば全然異常ではなく、ちゃんと説明がつくと言っておられました。

とにかく月というのはそれだけ地球に影響を与えている存在なのです。
まぁめまいが多かったのがこれと関係しているかはわかりませんが・・・。

それから、これもたまたまかもしれませんが先日大量のカラスが騒いでおり何か不気味な感じがしました。
いずれにせよ月と地球の関係は不思議なものです。

2012年05月11日

八十八夜
一昨日、久志先生の知り合いで無農薬でお茶を作っている方の茶畑で茶摘みをしてきました。
この方は退職してからお茶作りを始めたそうなのですが一般的には農薬がないと難しいと言われているお茶を堆肥を作る事で無農薬を可能にしているそうです。
要は元気なお茶を作ればわざわざ農薬を使わなくても虫がつかないのです。

そんな無農薬のお茶と共に隣の畑では野菜も無農薬で作られて、好きなだけもっていっていいよ、という事でまずはゴボウ掘り。
鍬でゴボウの周りをある程度の深さを掘りその後シャベルとつるはしを使って掘り出すのですがこれが一苦労。
汗だくになりながらも普通の倍以上の太さのゴボウを収穫。

その後すでに機械で摘み取った周りにある機械の入らないお茶を手作業で摘み取り。
本当は一芽三葉と言われるように一つの新芽から出た先の三枚の葉だけを手で摘むのがよいのですがそんな事をしていては大変というので大きなハサミのような茶葉を刈り取る道具を用いて一気に摘んでいくとあっという間に大きな籠に二杯分のお茶が取れて作業終了。

その後はさらにキャベツも持って行っていいよというので見に行ってみるとこれでもかと言わんばかりの虫食いだらけ・・・(苦笑)。
ただ外側をめくっていくと中はちゃんと食べられるぐらいで、何よりもスーパーで売っているキャベツとは比べものにならないぐらいに瑞々しい。さすがに虫は美味しい物をよく知っています。
全く虫食いのないキレイなキャベツは虫も選ばない美味しくないキャベツとも言えます。見た目ばかりに気を取られず本当においしい野菜を選びたいものです。
ちなみに持って帰って食べたキャベツはシャキシャキで甘く、これ以上のキャベツはないと思うほどの美味しさでした。

メインのお茶はと言うと製茶工場に持っていくには量が少なすぎるという事で自宅に持ち帰り自ら製茶する事に。
実際に製茶してみると、とにかく大変。
茶葉を単に乾燥すればよいというものではなく、煎茶の場合はまず蒸す、それから手もみをしながら低温で乾燥しなければなりません。
最初の蒸しの作業は簡単でラップをかけてレンジでチンでOKなのですが手もみと乾燥がとにかく時間がかかる。
フライパンを弱火にかけながら何度も揉み・ほぐしを繰り返し、熱くなり過ぎると一度火を止めて冷ますを繰り返す事1時間以上、ようやくお茶が完成。

売っているもののように細い芯のような茶葉ではありませんが香りはまずまず。
味はというと、これもまずまずの美味しさ。高級な玉露ほどの甘みはありませんがまろやかでやさしい甘みがあるお茶に仕上がりました。

大量に摘み取ったお茶の葉も製茶してしまうと量は5分の1ほどに。
自分で手作業で作ってみるとお茶のありがたみがわかると共に市販の農薬のかかったお茶がいかに危険であるかがよくわかります。
なぜならお茶は基本的に洗うという事をしないからです。お茶は鮮度が命で、摘み取ってすぐに製茶しなければならず、農薬を使ったお茶の場合、他の農作物に比べてはるかに多くの残留農薬がある可能性があるのです。
それを考えると手間暇かけても手作りは価値があると思います。

ちなみに煎茶だけでなく紅茶も作ってみたのですがこれには発酵という作業が必要です。
煎茶の場合最初に蒸して発酵を止めてしまうのですが紅茶の場合はまず萎凋(いちょう)と呼ばれる所謂陰干しのような作業が最初にあり、次に揉捻(じゅうねん)、つまりよく揉み込む作業、次に発酵させ、最後に熱を加えて発酵を止めて乾燥という工程があります。
生の茶葉にはハチミツ同様に天然の酵母がついておりほっておくと発酵していくのです。
煎茶の場合は発酵していない茶葉本来の緑色ですが紅茶や烏龍茶は発酵させた茶色で元の茶葉は同じです。
ほうじ茶の茶色の場合は炒って出てくる茶色です。

実際にできた紅茶はというと途中の発酵が足りなかったかなぁと思ったのですが香りはちゃんと紅茶の香りで色・味も問題なし。
気持ち市販のものよりまろやかでやさしい味がするのは手作りだからでしょうか?

なにはともあれ、美味しい新茶ができました!

2012年05月22日

大物か?
一昨日は毎年恒例の行事となりつつある九十九島への船でのキス釣りに行ってきました。
今回も同じみの職場の方とそのご近所さんという3人のメンバー。

船着き場からさほど遠くない場所で釣り始めるとさっそく良型のキスが釣れる。
やはり船釣りは岸からの釣りに比べて格段によく釣れるし型もいいのが釣れる。

同じ場所が釣れなくなってもすぐに移動してまた次のポイントを探れるので確率がはるかに高い。
朝7時から昼の3時過ぎまで釣りをしてみんなで40匹以上のキスとアラカブ3匹に鯛2匹、マゴチ1匹、カワハギ1匹というバラエティーとんだ魚種の魚をゲット!
目的以外の外道が釣れるのも釣りの楽しみの一つですが今回は沢山の種類の魚が釣れました。

まぁ美味しくない魚は全てリリースしたのでこれ以外にもベラやネズミゴチ、トラギス、ハゼ、エソなどが釣れました。

今回面白かったのが餌によって全くキスの反応が違うという事。
今回は青イソメと砂イソメという二種類の餌を使ったのですが青イソメの方は全く釣れず、砂イソメにするとなぜか釣れる。
見た目はほとんど違いはなく、ただ少し太いのと細いのが違うぐらいにしか見えないのですがこんなにも喰いが違うのかと思うほど釣れ方に違いが。
魚には人には感じれない違いを感じているんでしょうね。

それから今回面白かったのが超大物?との格闘。
この日は鯛も狙って途中何度か鯛釣り仕掛けの鯛ラバを使っていたのですがこちらには鯛などの大物は全くかからず、キス釣りの仕掛けにいきなり大きな当たりが・・・。
合わせを入れてリールを巻こうとするが全然巻けない。終いには糸が逆に引っ張り出されてしまう始末。
とにかく竿を立て強引に巻こうとしてみるがなかなか思うように動いてくれない。さすがにしばらく格闘していると竿を持つ腕が疲れてくる。
なかなか寄って来ない魚を見かねて船を魚の真上に移動してもらうとようやく少し糸が巻け、何とか魚の姿を拝みたいと思っていた所プツンと急に軽くなり針がなくなっていました。

九十九島一帯は内海ながら大きな魚が結構釣れる場所でもしかしたらそんな魚だったのかも知れません。
ただ今回のようなライトタックルでは大きな魚がかかっても針がもたないので釣り上げるのは非常に厳しいとの事でした。

まぁそれでも釣りの楽しみは十分味わう事ができました。
いつかはそんな大物を釣ってみたいものですが・・・。

2012年05月29日

若い命
先日25日に知人の方が亡くならたという連絡が昨日入りました。この方とは同じ韓氏意拳の会員という事もありますが何か不思議な縁を感じずには入られません。
同じ京都の女性の方でそれまで話では何度か聞いていたのですが4月に実際にお会いする機会がありました。

その時も病状はあまりすぐれないはずだったのですがこっちがビックリするぐらい元気に話でくれました。
色んな話をした後で少し脈を診させてもらうととても病人とは思えないような力強さを感じました。
まず普通の人があのような状態であればあれだけの力強さを持つことはできないと思います。
まだまだ若く、やりたかった事も沢山あったはずなのに・・・。
ただ彼女は決して後悔などなく、幸せに旅立たれたことと思います。

人の人生は長さだけではありませんがさすがに自分と同世代の方が亡くなられるというのは言葉になりません。
今の世の中において必要とされていた数少ない能力の持ち主であっただけに非常に残念です。
心よりご冥福をお祈りいたします。


2012年4月 Index 2012年6月

HOME