逍遥記

自由気ままに、好きなことをし、感じたままに綴る、それがこの逍遥記です。

2012年07月10日

晴耕雨読
8日は久々に一日晴れたのでお遍路の続きに行ってきました。
詳しくはブログ「同行二人〜自転車遍路の旅〜」に掲載していますのでそちらをどうぞ!

それにしてもずっと雨・雨・雨、・・・しかもかなりの降水量の雨が続き、家の中は湿気でジメジメでしたが外出する事もできずしばらく読書ばかりしていました。
昔から”晴耕雨読”と言われているように雨の日はずっと本を読んでいました。

今回読んだ本はどれも興味深いものだったのですが中でも重光葵(しげみつまもる)の話は、日本にもこんな人物がいたのだと驚かされるものでした。
戦前は外交官として戦後はA級戦犯とされながらものちに外務大臣として活躍した人物です。

当時の外交官というのは今の外交官とは全くといっていいほど違ったもので、外交は政治の中心であり、国の存亡に直結した非常に重要なものだったのです。
そんな重大な任務の中、彼は常に日本の国益を優先させ、決して列強に屈することなく、たとえ日本が絶体絶命というような窮地においても逃げ出したりせず常にその表舞台に立ち続けました。
今の日本は彼なくしてありえなかったと思います。

数多くの困難な交渉に挑み、第二次大戦に反対し出来るだけ戦争を回避しようと働きかけたのみならず、開戦後は日本の勝利(戦争の勝ち負けというよりその後の国益)の為に奔走し、結果A級戦犯になってもなおさらに日本の為に外交の舞台に立ち続けたのです。

彼は上海において天皇誕生日を祝う席で爆弾により片足を失っているのですが、その際微動だにせず決してその場から逃げなかったというからいかに彼が命がけで外交に挑んでいたかが伺えます。
ちなみにこの時他の日本人の出席者もみな逃げなかったというから当時の日本人がいかに肝が据わっていたかがよくわかります。

今の政治家でこのような人物は誰一人としていないでしょう。

確かに戦争という過激な方向へと進んでしまった人も多くいましたが、沢山の人が国を思い、故郷を思い、家族や友人を思っていたと思います。
そんな中でも重光葵の人間性は突出しており、”欠点がないのが欠点”と言わしめ、諸外国の有力者からの信頼厚く、グローバルな視点を有するという稀有な才能を持っていました。

今のこの時代にこのような胆の据わった人物が現れるでしょうか?

2012年07月18日

カンボジア旅行
海の日の連休にプラスして休みをもらい13日から夫婦でカンボジアに旅行に行ってきました。
13日の昼から佐世保を出発し福岡空港へ。福岡空港から飛行機で経由地の韓国仁川空港へは1時間半ほどのフライト。
そこからカンボジアのシェムリアップ空港へは約5時間半。福岡空港を出発したのが16:45でシェムリアップに到着したのが22:25(日本時間24:25)。

空港からはホテルの迎えのトゥクトゥクが待っており、初めてのトゥクトゥクに乗ってホテルまで約20分。
ホテルに到着すると愛想の良いスタッフの出迎えで部屋へ。
そこまで大きくはないもののアジアンリゾートを感じさせる部屋は綺麗でいい雰囲気。スタッフが話好きであれこれ説明してくれるのですが早口の英語でペラペラ喋るので半分は意味がわからず・・・(苦笑)。
それでも一生懸命対応してくれているのはよくわかり気持ちのいいものでした。

翌朝は7時に起床し朝食を食べにホテルのレストランへ。テラスになっているレストランは解放感がありホテルのプールが見えるリゾート感たっぷり。
4種類のセットメニューの中から選べるのですがどれもカンボジアならではのものではないものの味は美味しく器は南国を感がさせるものでした。

 ホテルの朝食

朝食を済ませた後は日本で先に申し込んでいたオプショナルツアーへ。
ホテルのロビーまで日本語の出来る現地ガイドの方が来てくださっており、もう一人の女性のツアー参加者と運転手の5人で車に乗り込み出発。

この日のツアーは有名なアンコールワット等の街に近い遺跡ではなく郊外にある遺跡を巡るツアー。
まず最初に向かったのは東洋のモナリザで有名なバンテアイスレイという遺跡。
赤色砂岩とテラライトで出来た遺跡で硬い石のおかげで現在でも彫刻が綺麗に残っていました。

  
バンテアイスレイと東洋のモナリザの彫刻

次に向かったのはクバールスピアン。ここは川の中に彫刻が見れる遺跡で1.5kmの山道を約40分歩かないといけないかなりハードな観光地でした。
最初はゆるやかな道でスタートしたのですが途中からは急な岩場を登る山道となり途中からは汗だくに。
周りの木々は大きなものが多く、蔓性の植物が沢山ありまさにジャングル!
大きなヤスデのような虫や大きなトカゲ、土がこんもりしたアリの巣や葉にくるまれたアリの巣などなど・・・。

   

そんな山道を登り到着すると川の中に彫刻が。この時期カンボジアは雨季の初期でちょうどよいぐらいの水量で、もしもう少し後では水量が多すぎて彫刻が見えず、また乾季では水が全くないのだそうです。

  
クバールスピアンの川に彫られた彫刻

下山後、ツアーに付いている日本食のお弁当を食べていると地元の物売りにつかまってしまい大変。
どこで覚えたのが日本語で”お兄さ〜ん、おねえさ〜ん、安いよ〜、〜ドル”などと言ってなかなか離れない。
昼休憩が終わってやっと移動する時間になっても最後まで追いかけてきてました(苦笑)。

次に向かったのはベンメリア。
ここはラピュタのモデルになったと言われている場所でほとんど修復されていない発見されたままの遺跡の姿を留めている場所。
多少歩きにくい場所もあるもののだいぶ手入れされたようで見て回るには十分。

苔むした壁や、ガジュマルやイチジクの木が遺跡を乗っ取るかのように生えている様子はまさにラピュタの世界で、忘れ去られた遺跡といった感じでした。

  
砂に埋もれていたおかげで綺麗に残るナーガ(蛇)と木に埋もれたベンメリア
  
ガジュマルの生えてきている様子

だいたい見終わってさぁ車に戻ろうかとした所、急に雨が降り出し、用意していた雨具では耐えきれず一気に下半身はビショビショに。
まぁこの日はこれが最後だったのである意味幸運でした。
ちなみにこの時期は雨季なので一日に一回ぐらいスコールがあるのですが旅行中スコールに遭ったのはこの一回だけであとは濡れずに観光できました。

車に戻り帰り道を進んでいると雨も止み、あとはホテルに向かうだけと思っていると急に車が停車。
なんと後部のタイヤがパンク。しかも完全にペシャンコになっている。
ガイドさんの話では滅多にないらしいのですが長い釘を踏んでしまったようです。

ドライバーさんとガイドさんがタイヤ交換をしている間、停車した小さなお店の前で待っているとそこの女の子がやってきて英語で話しかけてきました。
とても人懐っこい女の子でまだ1年ぐらいしか習っていないにも関わらず流暢な英語であれこれ会話をしました。
彼女は12歳の小学生で親兄弟と祖父で暮らしているとの事でした。
かわいらしい彼女との会話に楽しんでいるとようやくタイヤ交換がおわり再出発。
ホテルに戻った時には暑さと歩き疲れと睡眠不足でクタクタでした。

  
パンクしたタイヤとカンボジア人の少女

さすがにこの日の夜は外に食べに行く元気がなくてホテルのレストランのカンボジア料理を頂きました。
香辛料たっぷりですがどれも非常に美味しかったです。

 カンボジア料理の夕食

翌日からの様子は次回で。

2012年07月22日

アンコールワット
前回の続き、15日からですがこの日はカンボジアで最も有名な世界遺産であるアンコールワットを含むメイン所を巡るツアーに参加しました。

前日と違いこの日のツアー参加者は18名、とにかく迷子にだけはならないようにとガイドさんからの忠告を受けいざ出発!

まず最初に向かったのは南大門。
南大門とはアンコールトム(大きな町の意味で周囲約12km)にある門の一つ。アンコールトムには5つの門があり東西南北全てにあるのですが東だけは二つの門がありそれぞれ勝利の門、死者の門と呼ばれています。
これはその名の通り、戦争で勝った時は勝利の門から入り、負けた時(死んだ時)は死者の門から入るのだそうで死者の門は霊が出るとの事で地元の人は決して通らないらしくガイドさんも一度も通った事がないそうです。

アンコールトムの周囲はお堀になっており門に通じる道には石像が並んでいるのですがその多くは首が盗られているものや風化しているものなど完全なものはないのですが、面白い事に修復された像も完全ではないのです。
この理由は完全なものだと盗まれるからという事でわざと一部を壊しているのだそうです。

  
南大門とわざとほほを壊してある修復された像

南大門の後はアンコールトムで最も有名なバイヨンへ。
ここは宇宙の中心と呼ばれる寺院で壁画の彫刻は非常に細かく、細部にわたって戦争の様子を描いており、王が象に乗り、その次は馬、残りは徒歩という行軍の様子、さらには家族で戦争に出掛けている様子(当時は戦争となると長期間にわたっていた為、ペットを含めて家族全員が参加)、行軍途中で見つけたカメを食糧として捕まえそのカメが前の人のお尻を噛んでいる様子、など面白いものも沢山ありました。
また塔の上部の四面の観世音菩薩の顔が京唄子さんに似ていて有名なのだそうですがご本人の顔がよくわからないのでどうなのでしょうか?

  
行軍の様子の壁画と京唄子さん?
  
バイヨン寺院

バイヨンの後は象のテラスへ。ここは遺跡建設によって失われた多くの象に感謝する意味を込めて作られた場所なのでそうです。
その隣にはライ王のテラスがありこのライというのは王様の名前ではなくライ病いわゆるハンセン病だった王様のことのようです。

  
象のテラスとライ王のテラス

次に向かったのはタプローム。
ここで有名なのは遺跡の間から生える巨大なガジュマルやそのガジュマルを乗っ取るイチジクといった木と石の美しさなのですがこの木は遺跡を壊す原因の一つとなっています。
しかしこれらの木は切られる事はありません。
その理由は根が地中深くまで入り込んでおりもし木を切って根を枯らしてしまうとそこが地盤沈下をおこし周囲全体が崩れてしまうからだそうです。
ただ面白い事にただじわじわと遺跡を壊すだけではなく今では遺跡を支える支柱になっている木もあり、単なる厄介者から観光名物となっています。

それからもう一つこの遺跡で面白かったのがある部屋。
遺跡の各部屋には仏像を祀ってお祈りをする部屋、経典を納めていた図書館の部屋、等色々あるのですが面白かったのは治療に使ったという部屋。
当時は医者などはおらず祈祷のようなものや神聖な水を飲めば治るといったものが普通に行われたようなのですがこの部屋では胸を3回叩くと病気が治ると言われていました。
ただどこでもよいわけではなく必ず胸でなければなりません。

実際にこの部屋で胸を叩くとボン、ボンと音が共鳴し響き、手や他の部位で叩いても全く共鳴しないのです。
1100年代後半にすでにこれらを計算して作る技術があった事に驚きです。おそらく現代の技術をもってしてもかなり難しいのではないでしょうか?

  
木に覆われるタプロームとイチジクの木

この後街のレストランで昼食を摂り、いよいよアンコールワットへ。
東西1.5km、南北1.3kmの巨大なお堀に囲まれ中は3つの回廊からなるアンコールワットはさすが世界遺産だけあり至る所に彫刻が施され、詳細な壁画をじっくり見て回れば丸一日はかかるほど。
とりあえず有名どころを案内してもらい、真ん中のもっとも大きな塔へ。

ここは最も神に近い神聖な場所の為必ず帽子を脱ぎ、肌の露出も控えなければなりません。
数年前にはここを登ろうとした観光客が落下し死亡したそうでそれ以降観光客が登る事が禁止になっているのですが今は手すり付きの階段ができているのでそこから登れるようになっています。
ちなみになぜ死亡事故が起こったかというと一つは階段が劣化していた事もあるのですがとにかく階段が急で一段一段の幅が狭いのです。
これはわざと急で登りにくくしたそうでそうする事でたとえ王であっても神の前では這っていかなければならないのだそうです。

  
アンコールワットと急な階段

アンコールワットの後は夕日が綺麗に見えるというプノンバケンへ。
ここは一日限定300人までしか登ることができないらしいのですが頂上に着くと世界各国の観光客が所狭しと大勢来ており皆夕日が沈む瞬間を見ようと待っているのですが日を遮るものがないのでとにかく暑い。
しかもそんななかで1時間以上、ただ夕日は本当に綺麗でした。

  
プノンバケンの夕日

これでこの日のツアーは終了し夕食はカンボジア料理のレストランで食べ夜はホテルでカンボジア式の全身マッサージで疲れをほぐして就寝。

   
生春巻き、アモック、焼うどんのようなもの、ココナッツジュース

つづく・・・。

2012年07月24日
カンボジアという古き良き日本
では、前回の続き。
16日は朝からホテルで朝食を摂りトゥクトゥクを一日チャーターし前日までに周れなかったアンコールワット周辺の遺跡巡りへ。

日本では見る事のできないトゥクトゥクですがカンボジアではメジャーな乗り物。
バイクの後ろに客車を付けた4人まで乗れるタクシーなのですが暑いカンボジアでは車よりもある意味快適な乗り物です。
自分自身がバイクを運転しているかのように風を切って走る爽快感はたまりません。みなさんも機会があればぜひお試しください。

ちなみにカンボジアの交通事情ですが道路は右側通行で街中にはちゃんと信号があります。
シェムリアップの場合街中とアンコールワット周辺や幹線道路はアスファルトで舗装されていますがそれ以外の道は全く舗装されておらず、所々に凸凹があり雨が降るとすぐに水溜りが出来るような状態です。
昨年タイの大水害があった時にカンボジアでも同様に水害が起こり遺跡周辺の道路も浮き上がり凸凹になっている所も多々あり、決して良い道とは言い難いものの以前に比べるとはるかに遺跡巡りの時間が短くて済むようになっているそうです。

街中を走る乗り物で最も多いのはやはりバイク、次にトゥクトゥク、自転車、そして車という感じです。中でもバイクは運転免許が不要で二人乗るのは当たり前で三人以上乗っているのも珍しくありません。
ガソリンの値段は1Lおよそ135円ということでほとんど日本と変わらない物価ですがトゥクトゥクの一日チャーター代は12USドルでした。

それから海外ではよくある事ですが優先順位が歩行者優先ではなく、車>トゥクトゥク>バイク>自転車>歩行者の順という速いもの順のため慣れない人が道路を横断するのはちょっと怖いかも知れません。
また速度は出せるだけ出すという感じなので速いものがどんどん追い越していきます。ただ郊外では道が悪く、また市街地では交通量がそこそこあるため実際にはそんなにスピードは出せませんが・・・。

  
トゥクトゥクと街中の様子

この日もあちこちの遺跡を巡ったのですがガイド付きではなかったので全般的な話を少し。

カンボジアは4度宗教が変わっておりヒンズー教→大乗仏教→ヒンズー教→小乗仏教(現在)という変遷を経ています。
カンボジアの遺跡というのはこのどちらかの宗教を基に建てられ時には改宗に伴い壁画が書き換えられたり壊されたりしました。
特にヒンズー教に変わった時に仏教のものは壊されたのですが仏教に変わった時にはそのまま残されています。これは其々の宗教の考え方の違いで面白い点です。
他の宗教に関して排他的なヒンズー教と寛容な仏教とが遺跡を見るとよくわかります。
ちなみに仏教の壁画ではあぐらに足を組んで座り、手の位置は臍の下辺りにあるのに対し、ヒンズー教のそれは中腰のような形で足をクロスさせ、手は胸の前辺りで合掌しています。

現在のカンボジアは仏教国であるため街中では托鉢する僧侶の姿や仏像にお供えやお祈りをする姿を見る事が出来ます。

  
仏教式からヒンズー教式に変えられた壁画と托鉢をする僧侶

カンボジアでの遺跡巡りでどこへ行っても見られるのが傷痍軍人と物売りです。
傷痍軍人は何人かが集まり、人が通る度に民族楽器を演奏しお金を求めるのですが通る人が日本人だと日本の曲を演奏したりとかなり観光客慣れしている感じでした。
それから物売りは子供が多くこちらも相手に合わせてそこの国の言葉で話しかけてきてしつこく付きまとってきます。
かわいそうではありますがいちいちつかまってはいられないのでほとんどは無視せざるを得ません。

  
傷痍軍人と物売り

あちこち遺跡を巡った後は、ホテルに戻りプールに入ったりして少しくつろいだあとお土産を買いにオールドマーケットへ。
ここはカンボジアのお土産がほとんど揃う市場で観光客の多い場所の一つです。
どういったものが売られているかというとまず目に付くのがシルクや綿のクロマーと呼ばれる布。
マフラーやストールとして使ったり腰巻にも使ったりと万能な手織りの布で生地の素材や織りの程度によって値段もまちまちですが日本に比べるとかなり安いと思います。
この他目に付くのは木などの天然素材を用いて作られた手作りの工芸品や天然素材のソープ等。

それから食べ物では胡椒をはじめとする香辛料やジャスミンやハスといったお茶などが沢山並んでいます。
あと高価なものでは宝石類もいくつかあります。

カンボジアでは物価は日本に比べるとだいぶ安いのですが食品でも海外有名メーカーのものは日本とさほど変わらない値段で品質が良いものもそれなりの値段でした。
ただ値段は交渉次第なので頑張ればかなり安くかえるかも!?

ショッピングの後はバタバタと帰路に着いた訳ですが最後に全般的な印象です。

同じツアーに参加したある日本人の方がカンボジアの印象をとにかく貧しい国といっておられましたがどうしてもこれには納得がいきませんでした。
確かに物質的には貧しく、未だに郊外では地雷が埋まっており発電所がないので電線がなく自家発電で賄っていたりという苦しい経済状況ではありますが人々は親切で人当たりが良く、とても気持ちの良い人達です。
彼らは非常にまじめで勉強熱心な人が多く商売をしている人でも暇さえあれば本を読んでいる光景を何度も見かけました。
中でもガイドさんなどは学校ではなく日本人経営のレストランで2年間働きならがそこで日本語を勉強しガイドになったほどで、冗談も交えながらのかなり流暢な日本語を話され、遺跡に対する知識もかなりなものでした。

またホテルの従業員の人たちはみなさんいつも笑顔でちょっとでも楽しんでもらおうと片言の日本語を一生懸命話そうとしてくれたり、さっとお茶やおつまみを持ってきてくれたり・・・。

彼らの眼はいつも輝いており決して貧しくは見えないのです。
日本人や中国や韓国といった国の人も多く見ましたが服装は良くても決して彼らのような眼はしていません。
彼らのように精神的に豊かではないのです。
そんな彼らを見て貧しいというのはおろかな事に思えてならなかったのです。

カンボジアという国を見ていると少し前の日本のように感じます。
自然が豊かでほとんどが手工業で行われ物質的には貧しいながらも豊かな精神を持つ。
昔の日本が持っていた素晴らしさを見たように感じました。

内戦で400万人もの人が死に現在は1300万人との事ですが今後どのように発展していくのか楽しみである反面、精神的な豊かさを失わないようにしてもらいたいものです。

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