逍遥記

自由気ままに、好きなことをし、感じたままに綴る、それがこの逍遥記です。

2012年08月01日

ロンドン五輪
連日深夜遅くまでオリンピックを観ている人も多いのではないかと思います。
今回はロンドンという事で深夜にばかり試合があるので全てを見るという訳にはいきませんがそれでも試合をやっているとついつい観てしまいます。

今回の五輪の特徴としては審判の判定ではないでしょうか?
これまでは一度出た判定というのはほぼ覆ることはなかったのですが、今回は度々判定が覆りその度に選手は呆然とするシーンが何度もありました。

特に体操もそうですが何と言っても柔道はひどいとしかいいようのないものでした。
元々現在の柔道が本来の柔道からすれば似ても似つかないほどかけ離れたものになっているのはともかく、スポーツとしての”JUDO”としてみてもあまりにも酷いと思います。

まずルールがやっている選手ですらちゃんと理解されておらず度重なる警告ではなく一発の反則で負けるという試合が何試合かありました。
確かに危険な技を禁止するのはスポーツにおいては必要だとは思いますがもう少し参加する選手にきちんと理解できるように説明しておくべきではないでしょうか?
どの選手も一生懸命やっている中で出た動きでいきなり反則負けではかわいそうな気がします。

それから審判のレベルがあまりにも低いのも問題があると思います。判定基準があまりにも違い過ぎており、出た判定も度々ジュリーの助言で変わるなど選手もどの基準で勝負すればよいかわからなくなるはずです。

サッカーの場合確かに審判によって判定基準は異なり、ファールをよくとる審判や逆に全然取らない審判、カードを沢山出す審判やほとんど出さない審判など様々ですが一人の主審がその人なりの一定基準でゲームをコントロールする事で選手もその基準に従いプレーが出来るのですが、今回の五輪の場合は複数の人間が関わる事でかえって基準にブレを生じさせている気がします。

スポーツというのは人が行い、人がルールを作り、その中で人が判定するものなので完全に公平に勝敗が決まるものではありません。
ある条件やある関係性で生まれる勝敗に過ぎません。

だからこそ今回の柔道のように試合の途中で一度ストップさせて判定を確認するというような流れを切ってしまうものではなくたとえ誤審といわれるものがあろうともそれも含めてスポーツであるという事を認識した上で楽しめばよいのではないかと思います。

スポーツは勝負である以上必ず勝者と敗者が生まれるものですがそれはその時の条件や関係性から生まれるもので勝者がずっと勝者で敗者がずっと敗者ではありません。

メダルの獲得ばかりが注目されてしまいますがたとえメダルが取れなくても人間性の素晴らしい選手のコメントは感心させられます。
今回で言えば北島選手や内村選手は金メダルを期待されていましたが残念な結果に終わった後のコメントはさすが超一流と言えるものだったと思います。

あと個人的に好感が持てたのは女子アーチェリーの団体でしょうか。
彼女たちは常に笑顔で心からスポーツを楽しんでいる感じがよく伝わってきました。
よく楽しむのが大事と言われますが本当の意味で楽しんでいる選手はどれぐらいいるでしょうか?

その点女子アーチェリーの選手はふざけたり、なめているわけでもなく、自然にかつ真剣に楽しんでいる姿があり、結果もさることながらその一つ一つの動きも素晴らしいと思いました。

これからもまだまだ五輪は続きますが勝ち負け関係なく素晴らしいプレーを期待したいものです。

2012年08月08日

シーフェスカップ優勝!
先日の3日と4日はシーフェスカップというフットサル大会に出場し、見事優勝しました!
この大会はシーサイドフェスティバルという佐世保お祭りの一つのイベントとして開かれたもので米軍さんのチームも含め計24チーム出場という大会でした。
3日はその予選リーグだったのですが僕が仕事を終えて急いで駆けつけた時にはすでに1試合目は勝利し、2試合目も残り数分で7-0の大勝。とりあえずすぐに着替えて試合に参加。
味方が気を使ってパスしてくれたので短い時間ながら1得点と1アシストと楽しませてもらいました。

翌日の決勝リーグでは1試合目は7-0で難なく勝利し次の試合も何とか4-2で勝利し優勝決定戦へ。
さすがに相手が強くて勝てないだろうと思っていたのですが運良く最初に2点先制した事もあり勝つことができました。

五輪を観ていてもそうですが実力があっても必ずしも勝つとは限らない所にスポーツの面白さがあるのかなと思います。
今回のチームも特別強かった訳ではないのですがチーム全体の雰囲気が良く、それぞれの選手が其々の役割をやり過ぎず、少な過ぎずのちょうどよいぐらいの働きをしたのが良かったのではないかと思います。

チームスポーツの場合、単にうまい選手の集まりだけでは勝つことができません。
もちろん個々の選手の能力は重要な要因ではあるのですがチームとしてのトータルの能力を上げるにはそれぞれの役割を果たす必要があります。
今回はそれがたまたま上手く噛み合ったと思います。

小さい大会ながらも久々に優勝を味わえて楽しかったのですが、とにかくこの日は暑く、日焼けがひどく、帰ってからは頭痛がするなど軽い熱中症になってしまってました(苦笑)。

仕事が室内の冷房の効いた所なので野外の暑さに身体が適応しにくくなっているので以前にも増して熱中症には注意しないといけないみたいですね。

チームの皆さんお疲れ様でした。

2012年08月23日

よさこい&阿波踊り
今年のお盆休みは高知のよさこいと徳島の阿波踊りを観て来ました。
どちらも雨で長くは観れなかったのですが雰囲気は十分に味わう事ができました。

まず高知のよさこいの方ですが、こちらの印象はとにかく音が大きすぎて耳が痛い。
よさこいの発祥の地である高知ですが今はここ佐世保でも行われるようになり何度か観たこともあるのですがあそこまでボリュームが大きいとさすがにその場にいるのも苦痛になるぐらいでした(苦笑)。
踊り自体はどのグループもそれなりにまとまっており迫力もあるのですがどこも同じような振り付けであまり面白みが感じられませんでした。
確かにどのグループも綺麗な踊りでまとまりもあるのですが伝統的な踊りの面影はほとんどなく、現代のダンスをベースにした踊りでどこか物足りなさを感じました。

このよさこいに比べると阿波踊りは非常に面白いものでした。
よさこいに比べると見た目の派手さはないものの一つ一つの動きに迫力があり其々の連(グループ)で全く雰囲気が異なっており観ていて飽きる事がありませんでした。

また音も阿波踊りの場合はその場で太鼓や笛や鐘などで演奏するのでよさこいのようなスピーカーからの人工の大音量とは異なり心地よい感じがありました。

よさこいよりも一見動きが単純そうに見える阿波踊りですが実際は非常に繊細でよさこい以上に上手い下手がハッキリわかれるのも面白い所でした。
これは阿波踊りが日本の伝統舞踊の形を残しているからだと思います。
派手な振り付けのよさこいは西洋的な動きがベースになっており、動きさえ覚えてしまえば誰もがだいたい同じ動きが可能となるのですが、阿波踊りの場合は古の日本人の動きがベースとなっている為単に動きを覚えただけでは全員が同じレベルでは踊れないのです。

よさこいが若い人のグループが元気が見ごたえがあるのに対し阿波踊りは熟練した人たちの連が見ごたえがあります。

また踊り手一人一人の動きを観るもの阿波踊りの楽しみ方の一つだと思います。
さすがは日本最大級の踊りです、もし機会があるならぜひご覧下さい。

2012年08月30日

食中毒で死ぬか消毒液で死ぬか?
先日白菜の浅漬けでO-157の食中毒による死亡のニュースがありました。
原因はハッキリしないものの消毒の不十分が要因ではないかという事でした。

ユッケやレバ刺しといった生肉が禁止になる中、野菜はいいのか?と言った声まであがる始末。
このままだと魚の刺身はおろか全ての生野菜まで食べられなくなるのでは?と思わせるような状況です。

では本当に食品に消毒が必要なのでしょうか?これまでは普通に食べられていたものがなぜ消毒が必要になってしまったのでしょうか?

一つの原因としては工場で大量に処理する必要があり洗浄が不十分になってしまう点が挙げられます。その不十分な洗浄を補う為に消毒が必要になった訳です。
また食品衛生の基準も消毒を前提としている事にもよります。

では消毒をしたものが安全かというと、ここに問題があります。
今回のように消毒液の濃度が不十分だと細菌やウイルスが完全に死滅せず、生き残ったものが増殖し食中毒を起こすのですが濃度が濃いとどうかというと消毒液そのものの害が心配になります。

昔は消毒液などなかったのに問題が起きなかったのはなぜでしょうか?もちろん昔も食中毒はあり死者も出たと思います。しかし、それでもし亡くなったとしても今のようにその食品が食べられなくなることはなかったと思います。

細菌やウイルスの全くない食品など普通はあり得ません。そもそも人体にも無数の細菌やウイルスが存在し私たちはそのバランスによって生きているのです。
たとえ病気を引き起こす原因菌やウイルスがあったとしても他に存在する常在菌によって極端に増殖する事は厳しいと言えます。
しかし現代のように抗菌と呼ばれるものが氾濫し全ての菌やウイルスを除去しようとする状況では常在菌が少なくなりちょっとした病原性の菌やウイルスが侵入しても病気を発症しやすくなってしまうのです。

例えばある空間に100の菌入るとしてそこに3の悪さをする菌がいるとします。そのままでは悪い菌は他の菌によって増殖する事ができませんがもし除菌をしその空間の菌が30になるとします。もちろん悪さをする菌も減り、1になったとします。しかし空間にはあと70の菌が増えるスペースが出来る訳です。その時1だった菌は増殖が可能となり最初の3よりも多くなる事が可能となり発病するという訳です。

もちろん実際はこのように簡単にはいきませんが常在菌は非常に重要な役割を果たしています。
適度な清潔は必要ですが過度の除菌は害が大き過ぎます。
なんでもかんでも菌やウイルスが悪いとして除菌に走る行為はかえって感染症に弱くする結果となるのです。

最初は万能薬のように思われていた抗生剤も使い過ぎた結果、効かないものが増えるばかりかより強力な病気を引き起こす要因となっています。

必要なのは菌やウイルスと適度な関係を保ち共存共栄していく事です。
いくら人が無菌状態を作ろうとしても彼らはさらにその上を行きます。より強力となって襲い掛かってくるのです。

食中毒をなくす為に消毒する事が逆に食中毒を誘発している事に早く気付くべきです。
安全を求めるばかりにどんどん食べられるものを減らし、強い菌を生み出し、増殖しやすい環境を作るというなんとも皮肉な結果です。

限られた空間の狭い関係ではなくもっと広い関係性を見る必要があると思います。

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