逍遥記

自由気ままに、好きなことをし、感じたままに綴る、それがこの逍遥記です。

2013年02月01日

お別れ・・・
1月28日それは本当に突然だった。
それからの数日、今日が何曜日で今がいったい何時なのか?全くに異次元の世界にでもいるような感覚です。

僕にとって、ミツバチたすけ隊にとって、いや、もっともっと多くの人にとって最愛にして世界中どこを探しても二度とこのような人には出会えないであろう久志先生が私たちとしばしのお別れをする事になりました。

先日31歳となったこれまでの僕の人生においても、おそらく今後の人生においても決して現れる事のない偉大で最も愛する先生とお別れする事になりました。

久志先生と出会ってからまだ3〜4年というのに、もっともっと前から知り合っていたかのように感じます。そう思うと人との縁というのは時間ではないのだという事を改めて感じます。

久志先生は僕やミツバチたすけ隊にとって師であり、仲間であり、親友であり、家族であり、兄弟であったと思います。世の中様々な素晴らしい先生がいますが久志先生ほどどんな人に対しても分け隔てなく接してくれる先生はいないと思います。
どんなに世間的に偉い肩書きを持っていようが、僕のように自分の孫ぐらい年齢の離れた人であろうが全く関係なく同じように接してくれました。
教えを乞う人にはどんな質問にも丁寧に答え、その知識を余すことなく伝えてくれました。

もし自分の学生時代にこんな先生に巡り合えていたらどんなに楽しかっただろうと思います。

初めて先生の話を今のミツバチたすけ隊のメンバーで聞いたとき、もし先生がただハチの事だけの先生であったならこんなにも濃い関係になることはなかったと思います。
ハチの事は自他共に認める世界一の先生ですが英語をはじめとして植物、地質、歴史、工学、政治、環境・・・本当にありとあらゆる分野において深い知識があり、何を聞いても答えが帰ってくる、まさに生き字引でした。
そんな先生は今の研究者にはない天性の感性と実際に自分の目で見て試してみるという行動力がありました。自分が気になったことは自分が納得するまでとことん調べ、実験し、決して机上の空論ではない生きた理論を発見していきました。

僕が最も驚いたのは、先生が初めて韓氏意拳に触れたときに”これは新しい理論の武術だ”とそれまで自分が教えていた空手とは全く違うという事をすぐに口にした事です。
普通人は何か新しいものに出会った時にそれまで自分の知った知識の中から似たようなものを見つけ出しそれを当てはめて考えようとするものですが久志先生の場合は初めから新しいものだとして扱ったのです。
さらにこの考えを基にハチをもう一度見直さなければとそれまでの自分の見方をその場で一新したのです。

どんな人であれ最も大変なのはそれまでの自分の考え方を否定する事です。それはすなわち自分自身の解体でありそれまでの自分を失う事です。それには想像を絶する勇気が必要になるのです。
久志先生はそれをいとも簡単に行ったのです。
自分を自分で否定する事ほど辛いものはないはずなのに先生は常にそれを行いどんどん新しいものへ変化させていました。

”今”というものをあれほど純粋に見れる目を持った人物はそういないと思います。

まだまだ先生に対して書きたい事は山ほどありますがまだまだ僕自身の気持ちの整理がついていない状態なのでこれから少しずつ書いていこうと思います。
頭がこういう状態なので失礼な文章があるかも知れませんが先生なら笑って聞いてくれると思います。どうか多めに見てやって下さい。

2013年02月18日

除草剤という名の枯葉剤
先日の11日は鳥栖から山鹿までお遍路に行ってきました。詳しくはブログの方を見てもらえればと思いますがその旅の途中で見たものを少しこちらで紹介しようと思います。

自転車の旅というのは車では感じる事のできないその場の空気感を感じることができ、また車では早すぎて見逃してしまうものも見ることができます。
そんな自転車の旅は絶好の環境調査でもあります。

まずパッと見てそこが街、山、田畑、川、海なのかという所から入りそこの地形や植生、さらにどんな生き物が見られるかというのを詳しく見ていきます。
先日訪れた熊本の南関から山鹿までの道というのは山の間の谷間を抜ける道で所々にある平地は田が多く民家は僅かしかない所で本来であれば最も自然豊かな所なはずです。

しかし生き物の姿が全然見られないのです。確かにこの日は二月という事もあり生き物あまり見られない時期ではありましたがそれでも晴れており最高気温は10度近くありました。
本来であれば何か生き物がいてもおかしくないはずなのですが辺りはシーンとしているのです。

なぜこの辺りに生き物が見られないのかと考えると一つはこの辺りの山は杉だらけという事が挙げられると思います。
そしてもう一つはやはり農薬だと思います。山の間にある平地の田には空中散布の目印となる旗がたなびいており、この近辺に農薬が散布されている事がわかります。

まぁこれらはよく見る光景なのですが今回最も印象に残ったのは山鹿市街に入る峠に立て看板があり、除草剤散布試験区域と書いてあった所です。
なぜこんな山奥に除草剤?と思ったのですが少し考えてみると道路脇の草刈りの手間を省くために除草剤を撒いているのだとわかりました。
確かに田舎道の道路沿いに生える草を刈る作業は大変で、代わりに除草剤を撒いてしまえば楽ができるというのは如何にもいい事のように見えますが果たしてそうなのでしょうか?

実際散布されている場所の草は枯れており一見道路は綺麗に見えますがそこには死に絶えた土しかありません。当たり前ですが生き物など全くいません。

おそらく草を刈る手間と人件費と除草剤を撒く手間と人件費とを比較実験しているのでしょうがこの比較には本来あった自然の資産、つまり生き物や植物が育つ土といったものの経済価値が全く無視されているように思います。
さらに周りの山への影響や人体への影響なども無視されているように思います。

除草剤と言えば聞こえはいいですが実際は枯葉剤です。農薬も同じで実際は殺虫剤です。
これらが人の身体に良いわけがありません。

いくら人通りが少ない山奥だからといってこういった事が堂々と行われている事に恐怖を感じます。
目に見えるゴミの不法投棄には看板が掲げてありますが目に見えない除草剤や農薬散布に関しては無視されているのが現状です。

これらは私たちの身近に起こっている出来事なのです。
こういった現状を多くの人に知ってもらう事が必要だと思います。

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