逍遥記

自由気ままに、好きなことをし、感じたままに綴る、それがこの逍遥記です

2016年05月05日

105km完歩
3日〜4日に行われた佐世保〜島原ウルトラウォークラリー無事完歩してきました。
とりあえず最大の目標であった完歩ができたのでホッとしています。

初参加に加え、大雨の中のスタート、体調も数日前からの風邪が治りきっておらず60〜70%ぐらいのコンディションという状態で挑み、途中何度も足が動かなくなるのではないかと思いましたが何とか105km歩き通す事ができました。

この大会は本当に多くのスタッフやボランティアの方々が協力してくださり、きめ細やかな心あるサポートがあり、今回はそれかなり助けられました。

大雨・強風という最悪の中で正午からスタートしたわけですが参加者が多すぎて先頭は全く見えずスタートしてすぐはギュウギュウに押されながら全然前に進めない。しかもスタート直後の佐世保市内は信号が多くその度止まるので全然ペースが上がらない。

10kmほど進んだ早岐を過ぎる頃にはようやく集団がばらけてきましたが大雨と強風による体力消耗は後になってかなり響いてくることになります。
上下のレインウエアの上にさらに百均のレインコート、足には直前に購入した百均のシューズカバーという完全防備のつもりでしたがあまりにひどい雨にシューズの中には水が入り、百均のレインコートは何度も風で脱げそうになりました。

ようやく川棚手前で雨が止むと今度は暑さが身体にダメージを与えるようになり着ていたレインウエアが逆効果に。
暑さで喉の渇きの限界が近づいてきた時、川棚駅のサービスポイント(S・P)に到着。
ここの梅か紫蘇のジュースはスーッと身体に浸みわたり一気に渇きが回復。

そこからしばらく歩き彼杵の手前で家族に着替えを持ってきてもらいレインウエアを預け、気分を新たに再スタート。
この時足の指先にかすかにちくりと痛みがあり、よく見ると小さなマメが出来ており念のため絆創膏を張り様子を見ることに。このマメは慣れないシューズカバーの影響だったのかその後は大きくなることはなく特に問題にはなりませんでした。

スタートしてから5:31ようやく最初のチェックポイント(C・P)約32km地点の東彼杵に到着。
今回からはショートコースとしてここまでのコースも設定されており、知り合いはこのコースの女子の部で2位で完歩されました。
ここでスポーツドリンクとアンパン一つとバナナ一つを頂き、ほとんど休憩せずに先に進む。

ここまでは普段車でよく来る所なのでほとんど道と距離がわかるのですがここから先はたまにしか通らない道なのでだいたいしか距離感がなく本当の勝負といった感じ。

前に自分より遅いペースの人がいると無理してでも抜きたくなるし、後ろにピタッとくっつかれると足音が気になり、なかなかペースが保てないのですがここからは前後を歩く人の数も一気に少なくなりようやく自分のペースで歩けるようになりました。

大村湾に沈む夕日を眺めながら明るいうち距離を稼ごうと歩き続け、日没間際に42km地点松原S・Pに到着。ドリンクとおにぎり一つ、オレンジを補給し出発。
ここから次のC・Pの大村までが今回一番きつく、ここを乗り切れたことが完歩に繋がりました。
何がきつかったのかと言うと両足の膝裏の筋肉の腫れとその痛みで、そこからだんだん脚の裏側全体の張りと痛みが出だしたのです。ここから大村のC・Pまでは信号で止まる度に何度も手を膝について休んだり、普段は絶対にしないストレッチをしてみたり、とにかくどんどん動かなくなる足に何とか持ってくれるように祈りながら途中の藁をも掴む思いでスポーツ店に入ってエアサロを探すも置いていないと言われ完歩が絶望的とみられる中ようやく8:47大村C・Pに到着。

ドリンクに味噌汁、おにぎり二つを手に休もうとした時、マッサージの看板を発見。
これでもしかして歩けるようになるかもと一縷の望みを託し、本人もウルトラウォークに参加した事があるという方にストレッチと最後にエアサロをしてもらい何とか再び歩ける状態に回復。

歩き始めたのはいいものの次にさらなる問題が・・・。
大村で休んだ時から急激に身体が冷えてきだし、持ってきていた軽装の長袖のドライシャツ二枚の重ね着では早朝にかけて寒さが増す状況で耐えられるかという問題が出てきたのです。
しかも痛い足のせいで歩くスピードは遅くなる一方でこれがさらに寒さを増す要因に。

夜空の星がキラキラ輝く夜道を懐中電灯一つで先を目指し、どうにかこうにか62.3km地点諫早C・Pに到着。
再び限界に近づきつつある足の痛みと風邪の影響で痛くなり始めた喉に、持ってきていた解熱鎮痛剤を服用。
レモンとチョコとドリンクを補給し薬が効いてくれる事願いつつ出発。

予想外にこの痛み止めが吉と出ました。膝裏の痛みは軽い違和感程度に治まり、それ以外の身体の痛みはほぼ完全に取れ、一気に身体が軽くなりスピードが上がり始めたのです。
普段痛み止めを飲まないので弱いタイプの薬でしかも期限切れという代物でしたがよく効いてくれました。
ペースが上がったおかげで身体が温まり出し、こちらも何かともちそうな気がしてきてようやく完歩が出来るのでは感じ始めました。

73km地点森山C・Pへは日が変わったスタートしてから13:30で到着。
温かい手作りの味噌汁とおにぎりの味は格別でさらに歩を進める原動力となりました。

次の82.5km古部S・Pまで来ると残り20kmちょっと、時速5km/hぐらいで残り4時間ほどという事でジワジワ痛みが出だした足を考慮し2回分しか持ってこなかった最後の痛み止めを使う事に。
諫早の時は劇的に効果のあった薬も二度目となる今回は一番ひどい膝裏の痛みは取り除く事ができず、だましまだしゴールへ向かう事に。

最後のC・P湯江には18:07で到着し、栄養ドリンクとアンパン、シュークリームで最後の栄養補給を行い残り約9kmを進む事に。
ここまでくればゴールは目前と思われるのですがC・P手前で僕を追い抜いて行った人がリタイヤされていたり、かなりフラフラしながらゴールを目指している人がいたり・・・。

ゴール近くになると地元の人があと何kmと教えてくれるのですがこの情報が結構いい加減なのです。自分の頭の中の計算だとあと3kmほどのはずなのにあと4kmだから頑張れと言われ疲労が増す気がしたのですが実際は自分の計算が合っていました。
時計を見ると大台の20時間がギリギリ切れるぐらいだったので最後は最大限にスピードを上げ19時間56分3秒というタイムで148位でゴール!

ちなみに優勝者は13時間台という走らないと絶対に無理と思われるほどの信じられないタイムで完歩されていました。

ゴール後はカップラーメンとおにぎりを食べて少し休み、佐世保に向かうために島原駅まで歩いたのですが痛み止めと気持ちの切れた足は激痛で立つこともままならない状態となっており、両足を引きずりながな何とか電車に乗り込みました。
ゴール後の休憩室では皆さんぐったりされており、寝ておられる方も多く、みなさん足を引きずっていました。

帰りの電車の中では歩いている最中には全く感じなかった睡魔が一気にやってきたのか家族の迎えの来る諫早まで爆睡していました。
帰宅後は膝裏の痛みに加え風邪の悪化で38℃の熱まで出るというボロボロの状態でした。

全て終えて思ったのは今回は本当にエイドに助けられたという事です。一番は大村のC・Pでしたがそれ以外でも10kmちょっと間隔にあるエイドは水分やエネルギー補給、気分のリフレッシュという大きなサポートとなりました。スタッフの皆さま本当にありがとうございました。

 ゼッケンと参加賞の帽子と点滅するバッジ

夜中を歩くので反射材でできているゼッケンや点灯するバッジは参加者を守ってくれました。

 雨が止んで着替えてゼリーで補給している所
シューズはNBのベアフットのトレイルランモデル、下はコンプレッションインナーにサッカーのパンツ、上は長袖のドライシャツ、キャップ、リュックには懐中電灯や夜中に一人で歩く助けとなった音楽プレーヤー、タオル、長袖のシャツ、痛み止め、整腸剤、アミノ酸、飴、携帯電話、お金、保険証、大会説明書を入れていました。

 完歩証と完歩の記念バッジ

2016年05月24日

千里の道も一歩から
105kmを完歩し、ボチボチとウルトラマラソンの練習を始めている所ですが超長距離を歩いたことでウルトラマラソンにおいて何が必要かが少しずつ見えてきました。

これまでフルマラソンは二度完走し、練習でも40km程度の距離は何度か走った事がありますが50kmを超えるような距離は未だに経験がありませんでした。
今回105kmを歩いて経験したのが50kmを超えてくるともう無理がきかないという事です。目の前の選手に合わせて速くしたり、遅くしたりはもちろん、足は最低限にしか上がらず、歩幅も自動的にある程度のストライドとなり、ただひたすら前に進む事にしかエネルギーが使われなくなります。もちろん痛みのある場所には極力負担がかからない動きになっていきます。

今回のウォークでは50km地点付近で最も苦しかったのですがその原因はスタート時からの大雨の影響で靴カバーをはめて歩いた事によるエネルギーロスと、雨が上がり今度は急激な暑さによる体力消耗、そして何よりも大きかったのが混雑していた集団の中でペースが乱れ自分のペースで歩けなかった事です。
ベテラン選手がマイペースで淡々と歩いている中、集団を抜け出すために最初に飛ばしすぎたのが後々足の痛みへと変わっていったのです。

ウルトラと呼ばれる距離の場合周りの選手のペースに合わせる事ほど危険なものはありません。よく自分との戦いと言われますが本当に自分自身としっかり向き合い周りのものに惑わされてはいけないのです。もちろんこれが優勝を狙う選手の場合は駆け引きも必要になってくるのでしょうが完走が目標の選手は絶対に自分を見失わない事が大切になってきます。

そして何よりも大切なのが一歩だという事です。よく千里の道も一歩からと言われますが単に一歩を踏み出すだけではなくいかに一歩を踏み出すのかが重要になってくるのです。
後半疲労が溜まってくると自然とそうせざる負えない状態になってしまうのですが、前半の比較的無理のきく状態の時にこそ、自分の身体の状態に合った一歩を踏み出さなければならないのです。
タイムや順位、などではない本当に必要な一歩を的確に踏み出せていけるかが重要になってくるのです。
その瞬間速さや時間といったものから解放され自由でかつ周りの空間に溶け込むような感覚です。
ウルトラマラソンのような人間の極限に迫るようなスポーツの場合自然とそのような状態に入っていけるのかも知れません。
それこそが普通の人が呆れてしまうような途方もない距離を喜んで走る人がいる理由の一つなのかも知れません。

まだまだ道のりは長いですがまずは一歩ずつそのような世界へと近づけるように進んでいきたいと思っています。

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